森友学園への国有地売却で財務省近畿財務局の赤木俊夫さん(当時54)が自殺したのは、公文書改ざんに加担させられたからだとして、赤木さんの妻が国と佐川宣寿・元同省理財局長に計約1億1200万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こしました。
森友事件の公文書の改ざんに関わった財務省近畿財務局の職員・赤木俊夫氏の遺書全文が公開され、大きな波紋を呼んでいます。ジャーナリストの田原総一朗氏は、再調査の必要性を訴えています。
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裁判で新証拠が出れば検察庁が再捜査しても
森友問題が2017年、国会で追及されるさなか、赤木さんは文書の改ざんを命じられ、妻に「内閣が吹っ飛ぶようなことを命じられた」と打ち明けていました。同年7月にはうつ病と診断され、仕事に行けなくなり、「検察がいる」「僕は犯罪者や」などと繰り返し、18年3月に命を絶ってしまいました。
「森友問題では、首相、昭恵夫人や佐川氏ら財務省幹部が検察庁に刑事告発されましたが、すべて乗り切ってきました。
赤木さんの残した「遺書」と公文書改ざんの経緯を記した「手記」には多くの財務官僚の名前があります。裁判で新証拠が出れば、新たな告訴が出て検察庁が再捜査という展開も可能性としてはあり得ます。
近畿財務局のあまりの誠意のなさに遺書が公開されました
上司に強要されて、森友事件の公文書の改ざんを行い、2018年3月7日に自ら命を絶った、財務省近畿財務局の職員・赤木俊夫氏の遺書全文が、週刊文春で公開されました。
当時から深刻な出来事として少なからぬメディアで報じられてきましたが、家族の反対で遺書は公開されませんでした。赤木氏の元の職場、つまり近畿財務局を恐れていたのだそうです。
だが、近畿財務局のあまりの誠意のなさに、赤木氏の奥さんが怒り、公開に踏み切ったようです。
遺書は、赤木氏が死の直前に書いたものでした。
赤木氏の遺書に書かれてあったこととは
私は、昨年(平成29年)2月から7月までの半年間、これまで経験したことがないほど異例な事案を担当し、その対応に、連日の深夜残業や休日出勤を余儀なくされ、その結果、強度なストレスが蓄積し、心身に支障が生じ、平成29年7月から病気休暇(休職)に至りました。
これまで経験したことがない異例な事案とは、今も世間を賑わせている「森友学園への国有地売却問題」(以下「本件事案」という。)です。
遺書はこんな書き出しで始まり、決裁文書の改ざんは
元は、すべて、佐川理財局長の指示です。 と、はっきり書かれています。
佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えしました。
パワハラで有名な佐川局長の指示には誰も背けないのです。
役所の中の役所と言われる財務省でこんなことがぬけぬけと行われる。
怖い無責任な組織です。
この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。
今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。
そして赤木氏は自殺するのです。
再調査をされると困るのは誰なのでしょうか
赤木氏の遺書を読むかぎりでは、最も悪いのは佐川宣寿・元理財局長(元国税庁長官)です。だが、佐川氏はなぜ国会で虚偽の答弁を繰り返し、部下に公文書の改ざんを強要しなければならなかったのでしょうか。
ここで問題となるのは、忖度(そんたく)です。
安倍首相も麻生財務相も、佐川氏に虚偽の答弁をせよとか、公文書の改ざんをせよとは命じていないのでしょう。現に、佐川氏以下、改ざんに関わった官僚たちはそれなりの処分をされています。
しかし問題は、なぜ忖度をしなければならなかったのか、ということだと考えます。
佐川氏にしても、国会での虚偽の答弁や、部下に公文書の改ざんを強要するなんてことはしたくなかったはずですし、いやしくも、民主主義をうたう国ではあってはならないことなのです。
佐川氏は、そんなことは百も承知していたはずなのに、なぜやってはならない忖度をせざるを得なかったのでしょうか。ここに大きな謎が残ります。
おそらく佐川氏は、そのような忖度をしなければ、自分の現在の地位を保持できなくなり、さらには近畿財務局に政治圧力がかかる、と強く感じたからでしょう。
そしてその謎は、なぜ森友学園への国有地売却価格が約8億円下げられたのか、という重大問題につながっていきます。
野党は、赤木氏の自殺、そして佐川氏の忖度についての再調査を強く求めています。
それに対して、安倍首相も麻生財務相も、その必要はない、と答弁しています。
再調査を拒否するのは、重大な謎に対して再調査をされると大いに困るからではないのでしょうか。
※この記事は、週刊朝日 2020年4月3日号web版を参考にしました。