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緊急事態宣言本当にこれでいいのか?拡大する可能性は?

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緊急事態宣言本当にこれでいいのか?拡大する可能性は?
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 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、安倍首相が7日に発令した緊急事態宣言は、本来なら大きな局面転換のはずでした。

 

 けれども、緊急事態宣言発令後も多くの人々が出勤などのために外出し、多くの店も営業を続けざるを得ない状況になっています。それどころか、休業補償を要請する店舗や施設などの範囲すら分からない状況のままです。

 

 

 

 十分な補償によって国民の生活を守りきる姿勢が不十分 

 

 緊急事態宣言とは一体何なのか。そんな疑問がわいてくる緊急事態宣言です。

 

 感染拡大の防止に向け、本気で国民の行動変容が必要だというなら、まず「十分な補償によって国民の生活を守りきる」ことをしっかりと示した上で、休業や外出自粛を要請しなければならないのではないでしょうか。

 

 ところが首相のしたことは、逆に国会質疑や記者会見で「補償を行わない」方針を明確にしたとしか思えない内容だったのではありませんか。

 

 これでは国民の行動変容を促せるわけがありません。それどころか、このままでは感染拡大を抑えられないまま、いらだつ首相がさらなる強制力を求めて憲法改正など「不要不急」の政治案件に傾き、コロナ対策がさらに置き去りにされる、という最悪の展開になりそうな事態だといわなければなりません。

 
 

 自民党の憲法改正のテーマに挙げられている「緊急事態条項」を作りたい? 

 

 今回の緊急事態宣言は、憲法改正のテーマに挙げられる「緊急事態条項」とは全く異なり、現行の日本国憲法による制約を受けています。

 

 その発令は、首相が国民に一方的に何かを求めるだけのものであってはならないはずです。この宣言発令の最大の意義は、首相が、感染拡大を食い止めるため「全ての責任を持つ」と、国民に誓うことであるはずです。

 

 緊急事態宣言は、痛みを伴う協力を国民に求めなければなりません。しかし、その痛みを可能な限り和らげる責任は、首相自らが引き受けることを誠心誠意、全身全霊をかけて国民に訴えなければなりませんでした。

 
 

 痛みを和らげる最低限の行為は「補償」です 

 

 痛みを和らげるために最低限必要なのが「補償」であるはずです。補償によって将来への安心感が得られれば、さまざまな私権制限に対する国民の協力が得やすくなり、感染拡大の防止につながるはずだです。

 

 ところが、安倍首相は宣言発令に先立つ7日の衆参の議院運営委員会の質疑で、「民間事業者や個人の個別の損失を直接補償することは現実的ではない」と答弁しました。「補償をする」どころか「補償を行わない」というメッセージを強く打ち出してしまったのではないでしょうか。

 

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 「経済対策」優先でなく「感染対策優先」の施策を 

 

 与野党問わず多くの質問者が補償について尋ねたが、答弁は毎回、見事に同じ表現でした。官僚の書いた答弁書をただ読んでいるだけだったのです。

 

 補償が難しいなら難しいなりに、多少なりとも苦渋をにじませる表現や表情の一つもあればまだ良かったのだが、全く無機質な答弁が繰り返されました。

 

 首相は、「直接の自粛要請の対象となっていない分野においても、売り上げや発注の減によって甚大な影響が生じていることも勘案すると、政府としてさまざまな事業活動のなかで発生する民間事業者や個人の方々の個別の損失を直接補償することは現実的でない」
 

 この答弁からうかがえるのは、首相は「休業補償」を「経済への悪影響を防ぐための対策」と考えており、「感染症対策」として見ていません。

 

 「経済対策」と「感染症対策」は明確に違うことなのです。

 菅直人元首相が、8日のブログでその点を以下のように指摘しています。

 

 「例えば夜、国民が盛り場で酒を飲むことをやめさせるためには、国民に『店に行かないように』と訴えるより、店自身に一時休業してもらう方がより確実です。こうした店に、休業に伴う減収分の補償をしっかりと約束した上で休業を要請すれば、店側も安心して従うはずです。

 

 総理は国会質疑で『民間事業者や個人の方々の個別の損失を直接補償することは現実的ではない』と繰り返し答弁しました。理由は、経済的な影響は休業を直接要請する店だけでなく、そこに材料を卸している業者にも及ぶため、店だけを休業補償することはできない、ということのようです。

 

 しかしこれでは感染拡大に歯止めはかからないでしょう。実際に人と人が接触する場所はお店です。お店に休業してもらえば、人と人の接触は確実に減り、感染を減らすことができるはずです。補償はそのために行うべきなのです」

 

 

 国民に「飲み会はやめて」と言うだけでなく、居酒屋などに一時休業を求めるなら同時に十分な補償をすべきだ 

 

 首相は感染拡大の防止に向け「人と人との接触を8割削減する」必要があることを訴えました。そんなことを国民の努力だけに求めても無理だと思うのです。

 

 まず国として「人と人とが接触する場をできるだけ作らせない」ことに全力を挙げなければなりません。例えば国民に「飲み会を避けてほしい」のなら、国民に「飲み会はやめて」と言うだけでなく、国として「飲み会を行う場所をふさぐ」ために、居酒屋に一時休業を求めるべきなのです。

 

 もしそうなれば、それは居酒屋に対する大きな私権制限になります。居酒屋の経営は壊滅的な打撃を受けるでしょう。ですから、首相は十分に言葉を尽くして居酒屋側に休業への協力を求めつつ、同時に十分な補償を約束し、居酒屋が自発的に休業に協力しやすい状況をつくることが肝要なのだとかんがえます。休業を求める期間をできる限り短くし、その間に感染拡大を抑止できるよう最大限の力を尽くすことは言うまでもないでしょう。

 

 居酒屋への休業補償が「経済対策」ではなく「感染症対策」であること、すなわち「人と人との接触の場をふさぎ、感染拡大を防ぐ」という目的を達成するために補償が必要なのだ、ということを明確に理解していれば、「(居酒屋の)関連業界に補償しないこととの不公平さ」を気にした答弁は出てこないだろうと思われます。

 

 もちろん、苦境に立つ関連業界を救うための経済対策は、別途行うべきではあります。しかし、あの首相答弁は、政権が施策の目的とその優先順位を理解できていないことを露呈したという点で、大きな不安を抱かせるものなのです。

 

 この問題に限りませんが、首相は結局、今回のコロナ問題を経済問題としか考えていない気がしてなりません。発想の起点がいちいち「国民の生命と健康を守る」ことではなく「景気の悪化を防ぐ」ことにあるのだと思います。

 

 だから、事業規模108兆円の緊急経済対策にコロナ収束後の観光やイベントのキャンペーン費用が盛り込まれ、その総額が国民への現金給付の規模より大きかったり、「お魚券」「お肉券」などの消費喚起策が取り沙汰されたりするのです。108兆円のうち80兆円ほどしかコロナ対策費はないではないですか。

 

 西村康稔経済再生担当相の「休業要請の2週間程度見送り」を打診したとの報道も流れ、この件については菅義偉官房長官が9日の記者会見で「そうした事実は承知していない」と否定しましたたが、こうした報道が流れること自体、政権がコロナ対策を「景気対策」と考えていることの証左と言えますし、政府の発信の混乱は「政権の意思決定過程がどうなっているのか」という別の不安を抱かせるものです。ただでさえ不安な多くの業者を、さらに混乱に陥れているといえないでしょうか。

 

 こんなことで、首相がうたう「2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせる」ことが、本当にできるのか。極めて心許ないことを改めて首相に訴えたいと思います。

 

 

 火事場泥棒的発想・憲法改正論議? 

 

 今懸念しているのは、こうした政権の対応のまずさによって、結果として感染拡大を防げなかった時、首相がどういう態度に出るかが問題であろうと考えます。

 

 安倍政権がコロナ問題でこんな対応しかできないのであれば、2週間で感染拡大を食い止めるのは難しいでしょう。政治決断によってこれだけ国民に多くの負担を強いておいて、感染拡大防止に失敗したのであれば、当然政治責任を負わなければならないはずです。
 

 が、安倍首相は7日の記者会見で「私が責任を取ればいいというものではない」と言い切りました。

 

 この発言だけでも衝撃的だったのですが、常識的な国民や識者が危機感を抱くのはその後のことです。

 

 首相が自らの政治責任を取ることなく、その座に居座った後に「緊急事態宣言には罰則規定がないから国民の外出を止められなかった」などと言って、自分たちの無策による結果を法律に転嫁し、それを改憲によるさらなる「強権」獲得への理由付けにしかねない、ということです。非常に危険な考え方を持って望んでいるとしか考えられません。

 

 その兆候はすでにあります。記者会見に先立つ衆院議院運営委員会で、安倍首相は、憲法改正による緊急事態条項の導入について質問した日本維新の会の遠藤敬氏に対し「新型コロナウイルス感染症への対応も踏まえつつ、国会の憲法審査会の場で、与野党の枠を超えた活発な議論を期待したい」と答えたのです。

 

 少なくともこうしたことは、感染拡大を防ぐために「もうこれ以上の手はない」と自他ともに認めるだけのあらゆる手立てを尽くすまで、どんなことがあっても決して口にすべきではないはずです。そもそも憲法改正といった大きなテーマの議論は、最低でも「平時」に行うべきことだとおもいませんか。自ら緊急事態宣言を出しているような「有事」の今、どさくさに紛れて議論すべきことでは決してありません。

 

 今は新型コロナウイルスの感染拡大防止に全力を注ぐべき時です。緊急事態宣言を含め、現行法で政権が現在手にしている「道具」を十分に使い切って、あらゆる対策を行うべき時のはずです。それをしないうちに「道具が悪い」としてさらに強力な「武器」を求めるのは、単に政権の能力不足を棚に上げていることを自ら告白しているのではないでしょうか。そのことを強く自覚してほしいと思います。

 
 

全国新聞ネット 2020/04/10 Web版を参考に加筆しました。

 
 
 

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