新型コロナウイルス対策における政府の対応で疑問視される、補償の財源問題。
我々には何ができるのか。
日本に未来はあるのか。
AERA 2020年5月4日-11日号では、経済学者の水野和夫さん、弁護士の明石順平さんのそれぞれの分析を紹介しています。
目次
企業の内部留保を休業補償の財源に
いまだに政府は人命よりも経済重しと考えているようです。そう感じます。
営業自粛を要請しながら休業補償しないのは、感染する以前に死んでくださいと言っているようなものです。
補償のための財源は、企業の内部留保金で対処できます。
財務省の法人企業統計によると、国内企業の内部留保金は約460兆円。そのうち、本来は従業員が受け取るはずの、労働生産性の上昇に応じて支払われるべき賃金分など「過剰」に蓄積したものが、約130兆円あります。
そのうち、すぐに現金にできる資産である現金・預金、短期有価証券などが約70兆円あります。これを取り崩して補償のための財源として使うんです。
本来なら各社の従業員に還元すべきものですが、いまは日本の危機ですから、「日本株式会社の内部留保金」として国内の全雇用者6千万人に分けましょう。
1人あたり約100万円。足りなければ、第2弾として残りの60兆円も用意しておけばいいではありませんか。
企業経営者は「まさかの時に」と内部留保金を積み上げてきました。
いまの日本の状況は「まさかの時」に該当しないのでしょうか。政府が頼りない今こそ、「財界総理」として経団連がまず、呼びかけるべきです。が、いかがでしょうか。
そのときに大切なのは、中世の思想家エラスムスが唱えた「寛容」の精神です。近代社会は「合理性」を重んじ、経済成長であらゆる問題を解決する時代でした。
限られた土地、エネルギー、人間という中で成長する必要があり、「一文たりとも無駄にしない、払わないぞ」というあしき合理性基準が出てきました。
しかしこれからは、「ここはびた一文払わないなんて合理性を言わず、寛容主義で全員助け合おう」という、資本家にいちばん欠けている「寛容主義」の精神が必要となってきます。
合理性基準がある限り、人間も企業も「より速く、より遠く」を行動原理とせざるをえません。
いまは異常なグローバル化、つまり異常な合理化が進んでいます。過剰なグローバル化をやめ、たとえばEUほどの小さい単位で、経済だけでもまとまるのが理想だと考えます。
長い年月はかかりますが、これを機に合理性社会を終わらせましょう。大きな発想の転換も求められるのではないでしょうか。
※この項 水野和夫さん(67)経済学者 の記事を参考にしました。
一律10万円給付だけではとても足りない
一律10万円給付だけではとても足りません。ただ、給付金を配る余力は、本当は国にはありません。
もともと、日本の財政は危機的でした。集中治療室に入っていたら、その中で別の病気にかかってしまった、みたいな状況なのです。財政再建というより、「財政延命」していたに過ぎません。
一つ例を挙げるなら、アベノミクス以降、借換債(国債の借り換えのために発行されるもの)も含めた国債の総発行額は年間150兆円くらい。
うち5~7割ほどを実は日銀が民間銀行等を通じて買い入れるインチキをしているのです。日銀が手を引けば国債が暴落し、金利が急騰し、国の資金繰りがつかなくなります、つまり出口がありません。
この状態で財政支出を極端に増やすと、財政への信用を失うおそれがあります。財政と通貨の信用は表裏一体ですから、いつ為替相場で円が暴落してもおかしくありません。
10万円給付しても、きっと「足りないからもっと配れ」となります。しかし、給付は財政への信用を低下させ、円安インフレの要因になり得るのです。給付を繰り返すとインフレスパイラルにはまる可能性もあります。
賃金の8割を支給するイギリスなどにはできて、なぜ日本にできないのか。
政府総債務残高の対GDP比がその明白な理由です。多くの国は100%未満ですが、日本は約240%で世界ダントツ1位。財政の持続可能性が、異次元に悪いのです。
新型コロナによる経済への影響は「人類の歴史上、最悪の事態」です。このあと世界的に金融危機も国家債務危機も起きます。でもまだ始まりに過ぎません。
日本では通貨崩壊と食料危機の発生もあり得えます。真っ暗ですね、私の見通しは。でも、きっと現実はもっと暗いでしょう。
いま「ウケる」のは安心に訴える話でしょう。みんなそれに飛びつきます。でも私はウソはつけません。間違った明るい希望を持つよりも、歴史上最悪であることをしっかりと自覚しましょう。いまは一筋の光さえ見えませんが、まずはその認識から、です。
※この項 明石順平さん(35)弁護士 の記事を参考にしました。
※ この記事全体は、AERA 2020年5月4日号-11日号web版を参考にしました。