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阪神・淡路大震災から25年 復興はどうなった?

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阪神・淡路大震災から25年 復興はどうなった?
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 6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は、この17日で発生から25年となりました。

 
 

 地震が起きた時刻を中心に各地で追悼行事 

 

 地震が起きた時刻の午前5時46分を中心に各地で追悼行事が行われ、多くの人が祈りを捧げました。

 

 神戸市中央区の東遊園地では午前5時から「1・17のつどい」が開かれました。「きざむ 1・17」と並べられた約5千本の竹灯籠などに火がともされました。

 

「きざむ」の文字には震災の記憶を刻んでいくとの思いが込められています。

 

 竹灯籠は各地のボランティア団体などが作り、今年は、2018年夏の西日本豪雨で大きな被害を受けた岡山県倉敷市真備町からも117本が届けられました。

 

 「大災害時代」の始まり、ボランティア元年 

 

 25年の節目の式典に合わせ、神戸市営地下鉄や神戸新交通は臨時列車を運行しました。

 

 兵庫県公館では午前11時45分から追悼式典があり、秋篠宮ご夫妻も出席され、献花されました。

 

 阪神大震災は、戦後初の大都市直下型地震でした。

 

 その後も国内では甚大な被害をもたらす災害が続発しました。「大災害時代」の始まりとまで言われました。

 

 今でもあちこちの災害に多くのボランティアの人が駆けつけてくれますが、当時多くの人が被災地にかけつけ、「ボランティア元年」とも呼ばれました。

 

 阪神・淡路大震災は、耐震改修促進法や被災者生活再建支援法ができるきっかけにもなり、災害への備えや支援のあり方を考える転機となった年でした。

 

 ところで、この大地震の時、神戸には私の子供やその友達が住んでいて、地震に遭ったわけですが、この神戸の地震の揺れには、大きく揺れて家屋が倒壊したところがあったかと思えば、「こんな家屋が倒壊してない」と言われたように、揺れの大きさに大きなバラツキがあったようです。

 

 それと、家屋に対する耐震構造の見直しもこの時から大きく転換したように思います。また、震災と火事との関係も大きく見直されたのではないでしょうか。

 

 25年後復興はどうなった 

 

 現在、神戸の人口は約152万人。震災前の151万人から震災後に一時は142万人まで減少しました。それと同時に震災により神戸を支えてきた重工業、酒造や靴といった分野の活力は、落ち込んでしまいました。

 

 住まいを失った被災者らが暮らす「災害復興公営住宅」の高齢化が深刻です。人口に占める65歳以上の人の割合を示す高齢化率は約53%(19年11月末時点)です。

 

 全国平均の高齢化率約28%と比べて高く、その背景には我が家の自力再建がかなわない一人暮らしのお年寄りが多く入居したことによるものです。現在まで暮らしの再建はままならない状況です。

 

 東日本大震災の被災地、岩手県の災害公営住宅でも高齢化率は約44%。被災地の高齢化は全国に重くのしかかる課題といえ、孤立を防ぐ取り組みは急務であるといえましょう。

 

 神戸は日本を代表する酒どころでもあります。「白鶴」や「大関」などが集まる兵庫県西宮市から神戸市にかけての灘五郷も大打撃を受けました。若者の日本酒離れが進む中、廃業も相次ぎ、日本酒の出荷量は2018年には震災前の3割ほどになってしまいました。

 

 大きな被害を受けた神戸市長田区で生産が盛んなケミカルシューズも生産額は震災前の6割に届かない状況です。

 

 日本を代表する港、神戸港は商業港としての機能を奪われ、復旧に長い年月を要しました。それでも着実な復興を遂げ、コンテナ貨物取扱量(28フィートコンテナ換算)は2017年に292万4000個と過去最高を更新し、2018年は294万4000個に達しました。

 

 輸出入総額も震災前の7兆1000億円を上回り、2018年に9兆2600億円と過去最高を更新しました。国際コンテナ戦略港湾に指定されるなど、神戸港の復活を印象づけています。

 

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